【技術を磨く】
愛知県岡崎市―。徳川家康生誕の地で知られるこの街に国内シェア13%を占め、HOYAやセイコー、ニコンといった世界的な大企業と伍して戦う眼鏡レンズメーカーがある。それが東海光学。世界最薄のレンズの開発など業界最高水準の技術力を持つのが同社の特徴だ。「すべてはお客さまのために」。創業以来、全従業員に浸透するこの信念がさまざまな試みに果敢に挑戦し、技術を磨く原動力になっている。
2009年6月。創業70周年を迎えたのを機に古沢宏和は38歳にして社長に就任した。父で当時社長(現会長)の古沢武雄から就任を打診されても「驚きはしなかった。入社時からいずれは社長になるだろうという自覚があった」と動じない。宏和は東海光学の強みをこう語る。「いいお客さま、いい人材に恵まれたから」。この強みを生かしていけば会社を成長軌道に乗せていけると信じているからだ。
創業者で宏和の祖父の古沢静は1927年、自宅近くにあった眼鏡レンズメーカーの下村レンズ研究所に入社し、レンズ製造技術を習得した。静は同社で一つの功績を残した。それは乱視用レンズの量産化だ。乱視用レンズは通常のレンズよりカーブの研磨が難しく、職人による手作業が不可欠だった。このため生産量が限られ、品質も均一ではなかった。この課題を解決するため「機械化するしかない」と決意し静は独学で機械づくりに挑戦。
【生産能力24倍】
それから3年後の34年、ついに日本初の量産対応の乱視用レンズ研磨機「TC機械」を完成した。手作業に比べ、一日当たりの生産能力は24倍以上の220枚になり、不良品もなくなった。
TC機械の誕生は、下村レンズに業績拡大をもたらした。それだけでなく、後には他メーカーにもこの機械が導入され、眼鏡レンズ業界全体の発展にも大きく貢献した。根っからの技術者だった静の本領発揮といえる。東海光学が今でも技術に対し強いこだわりを持つのは静の存在が大きい。
技術者として自信を深めた静は39年に独立し、名古屋市中区に古沢レンズ工場(現東海光学)を創業した。従業員6人の小さな工場だ。その後太平洋戦争で名古屋市が戦火に包まれ、45年に愛知県岡崎市に本社を移転せざるを得ない苦難を味わったものの、なんとか会社を存続させることができた。

業界最高水準の技術力で大手メーカーと競い合う東海光学
【納期は必ず守る】
移転後に静が進めたのが生産改革。一人の職人が一品一品レンズを仕上げるセル生産方式から、複数の人間が各工程を担当する分業制に変えたのだ。業界ではまだ珍しい方式だったがこれが生産の効率化につながった。
また「納期は必ず守る」ことを徹底し、徐々に顧客の信頼を勝ち取っていった。58年には従業員も30人にまで増えた。
こうした地道な取り組みが奏功し、同年、転機が訪れる。それは菊池眼鏡院(現キクチメガネ)社長の森文雄からの思いもかけない提案だった。
(敬称略)
出典 : (株)日刊工業新聞社
2010年5月11日(火) 25面 13版
転載承諾番号 N-4420
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